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SIS Dreamsの誕生
平成4年6月のある日、ふとした切っ掛けでカーリングをすることになった。
我社、西部ガス情報システム株式会社(SAIBU GAS INFORMATION SYSTEMS:以下、SIS)には、年中無休のスケート場であるパピオアリーナが隣接している。「スケート場の営業の一環としてカーリングを始めるのでチームを作ってくれないか」という話しを上司が持ち帰ってきて、とりあえずSISでスポーツ経験のある人を5人程集めてみた。当然、面白半分で始めたカーリングであったが、正直、面白さを理解するには程遠いものがあった。ただ、面白くないことは決してなかった。そこには、何か引き付けられるものがあったことは今でも覚えている。
カーリングをやりだして(今、考えるとカーリングとは言えないかもしれない)約半年ぐらい過ぎた。カーリングというスポーツに日本選手権大会というものがあり、その近畿以西代表選考会が京都であること知った我々は、これまた面白半分で出場してみることにした。飲んだくれのチームである我々は大会前日の夜にミーティングなどすることは決してなく、修学旅行の学生のようにはしゃぎまくり、また京都まできて芋焼酎を探しまくっていた。試合当日は当然二日酔い。メンタルスポーツの大敵であるプレッシャーなど、頭痛・胸焼け・下痢の前では何の意味もないものであった。当時の予選は福岡2チーム、京都2チームの計4チームで行われた。ところが、SISカーリングクラブ快進撃、優勝、そして第10回日本カーリング選手権大会の切符をもらってしまった。
平成5年3月に北海道の帯広で日本選手権大会は行われた。まずビックリしたのはカーリング場である。今まで見たこともない素晴らしく華やかなスケート場の氷である。さすがに、このリンクの上で試合をするということには緊張していた。試合結果は言うまでもなく、野球で言ったら「20対0」、ラグビーで言ったら「100対0」みたいなものであった。本場のカーリングをまざまざと見せ付けられてしまい、やっと目が覚めた。いや、やっとカーリングに出会えたのかも知れない。
大会期間中、我々はいろいろな人に出会えた。松井さん安部さん、そして藤田さんなど、他にもたくさんの人達が右も左もわからない我々に手を差し伸べてくれた。この人たちの手助けがなかったら、今日こうしてカーリングを続けてこられたかどうか自信がない。北海道の最後の夜に飲みにいったとき、チームみんなで語り合った。その時のみんなの目は確かに輝いていた。そして、みんなの心の中に夢ができていた。日本一になるという夢である。
SIS Dreams、そこからが始まりである。